東京地下ラボ

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04 Prototyping

50年後の箱船シェルターのこどもたちへ

中編

放課後、わたしは家に帰るとさっそく自室に籠り、すっぽり頭部を覆い隠せるヘッドセットを被った。いつものように映画観賞には没入感が必要だとかなんとか長ったらしい言説を並べ立てていた『tik-5』に影響されてポイントと交換したものだった。結局コンタクト・フォンで済むものをいちいち引っ張り出して使うのももどかしくて今の今までボックスの出しにくい位置に収納されていたが、とうとう本領を発揮させてやるときがきたのである。まさしく全ての物事がこのときのために完璧に配置されていた。
わたしは二人だけのクローズドチャットに入室すると、じっと佐々木五番を待った。

まるでコミックのような出来事だが、昨日わたしは本当にあのまま佐々木五番に腕を掴まれトイレに引きずりこまれた。
わたしはトイレの一番手前の個室に入れられ、そして佐々木五番はわたしの真隣の個室に入った。もしかしたら、佐々木五番がわたしと同じ個室に入り込んで、目の前で排便するところを見せたり、艶やかでずっしりとした糞尿を流す前に妖艶に見せつけてくるのではとドギマギとしていたわたしは、ホッとしたような、がっかりとしたような、アンビバレントな弛緩にへろへろと便座に座り込んだ。一部の、というか大概の大人からは忌避されている事実だが、こどもたちの間で主流な創作物投稿用プラットフォームでは、もっぱら人気なコンテンツではだいたい定期的に質と量が良好な糞尿を生産できるという描写や付近で丁寧に肛門を拭く描写が挿入されているのが魅力的なキャラクターであることの前提条件であった。たしかに階級主義一歩手前の描写で少し危ういところもあるから批判する意図は十二分にわかるのだが、よりにもよって大人はこうした描写をスカトロジーと同一視し批判しているのだ。あり得ない、不衛生嗜好だなんて!わたしはこのトピックを見て初めて20年代風の「思春期」による大人への反抗心というものに共感し、そのおかげか心なしか青春モノに対する解像度が上がった気がする。やはり文化的実践については『tik-5』の個人的研究の有意義さを認めなければならないだろう。
古典好きのわたしであってもやはり同世代の創作の余波を受けているし、それになんだってあの佐々木五番がすることなのだ。きっと20年代のこどもたちだって好きな人のあらゆる面を見たいと思うだろう。素晴らしいところも卑しいところも恋しいのだ。わたしは、ハイスコアのように見えて実はし尿の質が悪くったって佐々木五番を嫌いになれる気がしなかった。
コツコツとドアがノックされ、個室をでると佐々木五番が待っていた。し尿を持ち帰れそうな容器は身に着けていなかった。
「もう、流したんですか?」といいながらわたしは佐々木五番が入っていた個室を覗き見る。し尿を横流しできるような仕掛けはされていないようだった。
「見せて欲しかったの?」
「わっ、近い!」
あろうことに佐々木五番は身体を密着させるようにしてわたしの側に立っていた。わたしがコンタクト・フォンで個室の精密観察をしているうちに忍び寄ったのだろう。
「あはは、照れないでよ、今度からは見せてあげようかなと思っただけなのにな」
「いや、照れてるんじゃなくて……トイレには監視機が設置されてるんですよ、パートナー申請なしでのこの身体密度でコミュニケーション取ったら佐々木五番が通告されるかもしれないでしょ」
「わたしの、見たくないんだ」
「いや、それは……」
「ほら、違わないんだろ」
言外に「悪さをしても通告されるだけで得なんてない」と諭したつもりが、すっかりイニシアチブを佐々木五番に奪われる。
首を傾げてニヤリと佐々木五番が笑う。長い髪の毛が笑みに繊細な斜線を引いていた。
「あとさあ、パートナー申請もしようよ、もうわたしたち友達だろ」
唐突な宣言にわたしが口籠るのを頓着せず。佐々木五番はすたすたと手洗い場に向かった。
どこからどこまでコミックのような話だが、本当に20年代のコミックならば手を洗うときは蛇口を一ひねりし水をジャブジャブと浪費したことだろう。しかしこれは現実だ。マイクロプラスチックの海と汚染された雨水に囲まれた地中では清潔な水は極めて貴重である。そのため衛生状況を良好に保ちながらも水を節制するために造られた 箱船シェルター の手洗い場では水ではなく風で汚れを取り除く。佐々木五番は手洗い場の送風機に手を入れ無駄な有機物を落とし、さっとアルコールで除菌する片手間に、からかうように口走った。
「パートナー申請するには、確か最低一回はクローズチャットで申請者どうしのコミュニケーションを最低一時間はとらなきゃいけなんだっけ?コード教えてよ、明日チャットしてその日に申請しよ」
「山田一番も手洗いなよ」と佐々木五番はぐいっとわたしの腕を掴んで。送風機の間につっこんだ。除菌が終わっても、佐々木五番はわたしの手を離さなかった。
「あの、理由というか、佐々木五番の意図がわかりません……」
困惑するわたしに、佐々木五番は今にも歌いだしそうなほど上機嫌に答えた。
「わたしね、山田一番の変でおかしくて意味わかんなくてすっごく気持ち悪い所、大好きになれるかもしれないんだ。明日絶対に来てよ、嫌いにさせないで」
当然のように、わたしは再び佐々木五番に服従した。だって嫌いにならないで欲しかったし、それにし尿バイトの監視もできるし、逆にどういう思考を経れば断るという選択に行きつくのか聞いてみたくらいだ。

「あ」
やっと佐々木五番らしきアバターが入室してきた。慌てて文字を打つ。
『少し遅かったね』
『あはは、なんで現実で知り合ってんのにロイド音声使うんだよ。いちいち入力するのめんどくさくない?』
カイコをモチーフにしたアバターは無挙動のまま、佐々木五番の肉声が届けられる。スコアが高い佐々木五番ならもっとキャラメイクやモーションに手間をかけられるだろうに、カイコには口パクツールさえ適応されていなかった。ただ、じっと静止し、わたしの方を深淵めいた複眼でみつめている。
『こっちの方が慣れてるんだよ』
『うわ、山田一番って入力速いな……それよりも何このアバター、モーションまで無駄に凝ってるくせにモデリング雑過ぎない?絶対普段使いしてないやつでしょ。いつも使ってるやつも見せて』
佐々木五番はチャットでもリアルの氏名で呼び合うらしい。少し驚きながらも、まあ、佐々木五番のやることだしなと納得している自分もいた。佐々木五番は、悪知恵が働くわりに本質的に真っ直ぐすぎるところがあるから。
『いや、これと趣味用のやつしかないから……』
『あのさあ、これから一応パートナー申請してゆくゆくは最少共同体申請もして人生を共有し合う仲なのに趣味くらい恥ずかしがるなよ』
『ははは……かぞくになるのを前提にってやつですか』
臓物が暴れだしそうになるのを必死におさえながら、わたしは嘯くように茶化した。人間にとっての最大の屈辱とは相手の冗談にいとも簡単に振り回されていることを悟られてしまうことである。歯を食いしばり静かに一度退室し、仕方なくいつもの学ランのアバターで入室しなおす。
佐々木五番は意外だったのかわたしのアバターを見るや否や『おお』と感嘆の声を上げた。
『へぇ、結構露悪趣味なんだ』
『いや、これは階級主義的なアイコンではなくて、20年代のコミックカルチャーに影響されたコスチュームだからな、決してそういう……』
『こういう軍服みたいな制服って令和っていうより平成じゃないの、あ、20年代ってまだ平成だったっけ?』
『20年代は令和初期!これ、基本だよ?まあ、興味ないひとには解りにくいかもしれないのは重々承知だから基本的なことから説明するけどさ、まず10年代後半からじわじわとSNS等で注目を集めていた平成初期的なモチーフが二十年代後半に一気に台頭したんだよ。20年代なってようやく従来のバイナリーな価値観が根本から見直される傾向がメインストリームになったからこそ、若者たちにセーラー服や学ランをはじめとした以前は階級定義に使われていたアイテムがポップに消費されていったという文脈があって、20年代後半はそこからさらに90年代・ゼロ年代ブームも付随して巻き起こった平成レトロの時代だからね。つまりは、こういったモチーフはむしろ階級主義ではなく脱・階級主義のアイコンなのであって、このコスチュームの社会的意義はむしろ階級主義への克服にあるといえるから俺は別に……』
『おれ?』
『打ち間違えです』
この姿に、しかも20年代の話が組み合わさると、ごく自然にあの三人のチャットで作った「キャラ」が出てしまった。いけない。今のわたしは「山田一番」でしかないのだ、佐々木五番もただの「佐々木五番」としてわたしと対面しているのだから。
『嘘つくなよ、あの分量一気にタイプしたくせに』
からからと佐々木五番の笑い声が不動のカイコ越しに聞こえる。カイコの姿を模した珍しいアバターは、やはりどこまでも不動である。その痛々しいまでのちぐはぐさに触れてよいのか、わたしは咄嗟に判断することができなかった。
『あははは、ごめん、ごめん。あーっと……音声も文章もその、キャラクターに合わせてるんだよね?いいよね、そういうこだわり、意味わかんないけど。山田一番って服とかもいっつも支給のやつばっかりだからさあ、そりゃあ支給の分だけで十分だけど、たまには気取った服も着たくなるもんだろ?だのになんでだろうって思ってたけど、なるほど、全部アーカイブ視聴に回してるからか』
『わたしは佐々木五番みたいにスコアもそんなに高くないから、自分用の服を作れるほどポイント貯められないだけだよ』
『五十年前のアーカイブ権限とこの異様に凝ったモデリングよりは安い気がするけどねえ』
確かに倫理的問題のある表象へのアクセス権限にはかなり高い壁が設定されていた。継続的にある程度の量を視聴しようと思えば、服飾制作依頼よりも高くつくのは事実だった。
『いや、逆に、佐々木五番はこだわらなさすぎだよ。悪趣味なモチーフのわりにメイキングは写実的で緻密な所には並々ならぬこだわりを感じるけど、モーションが安すぎるというか、いや、逆にそこが良いってのもわかるけどね』
『……ふーん、悪趣味って、なんで?』
『なんでって……』
『何が、どんなふうに、悪趣味なのか教えてよ』
佐々木五番はもったいぶって消え入りそうな吐息を吹く。それは悪意のようでもあり、得難い信頼のようでもあった。
『遺伝子改変の象徴をわたしたちが使うのは、あまりにも自虐的では……』
70年代において遺伝子は神聖でありタブーなのだ。
箱船シェルター の中では、20年ほど前は盛んに行われていた遺伝子改変と資本主義が大人たちによって徹底的に悪として定義されていた。大人たちは基本回顧主義で昔のものばかりを愛したが、こればかりは別なようだった。
大人たちの学説では、環境破壊は遺伝子改変技術の普及がトリガーだと考えられている。さらに農薬や食料を安く作って高く売りたいという資本主義的欲望が遺伝子改変技術の普及させ、商売のために土壌は激変し原生の植物が生えなくなり、過剰な農薬散布によって花粉を運ぶ虫が死ぬ。生態系は基盤から揺るがされ、環境は壊滅していった。このおぞましい大罪の末に人類は罰せられているわけである。今や大人たちは遺伝子にメスをいれない形式の極めて原始的な「品種改良」にさえ否定的だ。
人類の利のためだけに「品種改良」された、いわば大人たちにとっての負の歴史の産物であるカイコは、反体制の表明と思われる危険性すらある。
しかも、 箱船シェルター で生まれ育ったわたしたちが、大人たちの理想のために勉学を修め生活のために排泄するわたしたちが、「品種改良」の末に飛ぶことも食べることもできないのに次世代への継承のためだけに生かされる成体のカイコを自分の分身として使うのは、何故だかあまりにも侘しいことのように思えた。
『自虐的、ねえ……』
佐々木五番の声はどこか遠かった。わたしは、表情を介さない会話がここまで不透明でもどかしいことを初めて知った。
わたしだって佐々木五番に何か大切な想いがあることくらい、知っている。佐々木五番のふるまいは破滅的に見えていつもどうしようもないくらい寂しい。きっとそれは佐々木五番以上にわたしが良く知っていた。佐々木五番はいつも誰もいない暗い真空で燦々と燃え続けていた。その姿をわたしは誰よりも知っているのに、わたしは炎心にある孤独をまだ知らない。
『なんかさー、大人のそういうノリって良くわかんないっていうか、正直に言って無駄だろ。遺伝子を弄った豚や微生物で生きてるくせに、何をそんなに怖がってるんだか』
『それは、別でしょ。生き物じゃないよ……食肉と反応機は』
地中で隠遁生活をしながら贖罪につとめることにした人類だが、それなりに生きようとすると、やはりそれなりに生命工学を駆使しなければ立ち行かなかった。光も温度も空気も地上とはまるで違う地下空間でのヒトの生存およびに「純粋な生命」の遺伝子保存のためにはおびただしいエネルギーを要する。地上に設置した雨力発電機だけでは賄いきれずに、結果として消化機能が優良なこどもたちの糞尿を有機資源に加工し、またその加工の際のエネルギーを各所に回すことで豊かな生活が成り立っていた。
しかし、現段階の科学力と現実的なランニングコストを勘定すると加工の際にはどうしても半世紀前のように微生物を使わなければならない。しかし、人類の益だけのために遺伝子改変を行うのは大罪である。
大人たちは頭をなやませた後に苦しい折り合いをつけることにした。生体から遺伝子を切り抜いて培養するのではなく、塩基から何までゼロから実験室で生成し培養したものであればそれはもはや生物ではなく、人工物にすぎないのではないか。こうした発想で「反応機」は。
なるほど確かに、生体由来のDNAを増やして切って貼らないのであれば遺伝子「改変」とは言えないであろう。
こうした理屈でいろいろな「人工物」が造られた。栄養摂取のための「食肉」、糞便を流す際に使われる油の「生産機」なんかもそうして造られていた。
『じゃあわたしたちは、何なんだよ』
カイコは答えられないわたしを真正面から見つめていた。
『父親も母親も知らない。人口子宮の中で適切な精子と卵子を組み合わせてできたわたしたちは何なんだろうね。誰から来て誰に帰るんだろう。わたしたちは生殖線も10歳のころにみんな切られてるだろう?残すことができないわたしたちは何なんだろう』
『かぞくがいるでしょう。それにわたしたちだってかぞくを作れる。わたしたちは、かぞくから出てかぞくになるんだよ』
人口抑制と格差の是正のために、わたしたちは全て人口子宮機の中で未受精卵から満一歳まで育てられ、三歳になるまでは養育施設で4,5人につき何十人かの大人に育てられていた。養育施設で平等な教育と保護を受けた後は、一人ずつ監査を通過した最少共同体グループに送られ、一人につき4,5人の大人が公平な教育と愛情を注ぐ。これがいわゆる「かぞく」だった。かぞくの中では社会要員としての認識名である「氏名」ではなく個人的な認識名である「なまえ」で呼ばれることや、手をつなぐなどの肉体接触がコミュニケーションとして許された。こどもたち全員が満15才となってからはこどもたちのパートナー申請や最少共同体申請が許されるようになったが、つい最近まではそういった暖かなものを与えてくれるのはかぞくだけだったのだ。 最少共同体はその名の通り、二人から7人で構成される最少の共同体だ。恋愛であったり友情であったり信頼であったり様々な形で大人たちは手を取り合っていた。わたしたちは誰しもそんな乾いていながらも懐かしく薄く輝く関係に憧れていた。虐げられることもなく各グループ内でたった一人の未熟者として包み込まれながら大事に育てられたわたしたちには、誰かと一緒になって4,5人のグループで共同生活を送りながら人口子宮機からやってきたこどもたちを養育するといった原風景が幸福としてインプットされていた。
『それに生殖腺手術はこどもが身体的・社会的負荷を負わないための保護措置かつ資源の奪い合いが起きないための人口抑制っていう共同体への貢献であってわたしたちの権利の簒奪ではないよ。わたしたちの精子と卵子は保存されて、何十年か後に社会人員数を増やそうってなったときのために解凍されるって習ったでしょう』
『わたしたちがまたかぞくに帰れる日なんか一体いつ来るんだろうね。二人っきりで真昼の草原でキスをする日の方が近いんじゃないか』
声だけでもニヤニヤ笑いながら言っているのが解る。こんな嫌な冗談で結構イイなと思ってる自分の浅はかさが見え隠れしていまうのが恥ずかしいし、そうさせる佐々木五番にむずがゆい苛立ちを覚えた。
『あー、もう!自分から真面目な話ふったのにからかわないでくださいよ!』
『じゃあさ、真面目な話をすると、本当にわたしたちがそうなれる日って、とてつもなく遠いもののように感じない?永遠に失われているような気さえするだろう』
冗談みたいな、全てを軽んじている声の中に萎びた苦痛があった気がして、わたしは仕方なく佐々木五番を許した。
『この世に永遠も絶対もなんかないよ』
真昼の草原というのは、夢物語・絵空事・ホラ噺の比喩のようなものとして使われるのが大半だ。しかし、わたしたちは夢と理想を実現するために生まれて生きているようなものなのだ。今が無理でもきっと五十年後には夢のように素晴らしい景色が広がっていたって、おかしくはない。五十年で世界がガラリと変わることを、わたしは知っている。
『そうだね。だってこの最後の砦だってボロボロで今にも崩れそうなんだから。人類に永遠と絶対はない』
『また、意地悪なことを……』
『だって本当のことなんだもん』
『はあ、そうですけど……でも、過去と比べて良くなったこともたくさんあるでしょう。有史以来人類を苦しめてきた階級主義的な苦しみからやっと解放されたわけですし』
『ええっ今もそんなに変わらないんじゃない?結局わたしたちは学力とし尿の質で計られて大人たちは碌に体力もないし分解力もないのにわたしたちが生み出した資源を貪って、だのにわたしたちはお零れを貰うだけだろ、これって階級主義じゃないの?』
『考えが能力主義的かつ資本主義的すぎるよ。公平な社会では確かに優秀なひとは自分だけが多く払っているように感じるかもしれないけど、何も社会は優秀なひとだけで回っているわけじゃないんだ。本当の意味でたった一割の優秀な人材だけが生き残れるような社会になったら共同体の機能は壊滅します。社会の公平性は倫理と道徳の問題でもあるけど、本質的には実利の問題だってことくらい、歴史の勉強を少しやれば解ることでしょう?』
『教科書的だな、山田一番。歴史なんて真剣に学んで何になるの?世の中の理不尽でどうしようもないことにばかり解像度が高くなったって、浅慮に敏感になって怒ることが増えるだけだよ。せいぜい真剣で正直なことを無神経に面白がるのが一等幸せな生き方だろ』
『……佐々木五番は歴史の勉強は嫌いなの?』
『わたしは嘘だから好きなんだ。自分には関係がない夢のおとぎ話だから楽しく消費できて好き。でもこういうのすら「好き」にいれたら良くないよね?なんとなくだけど』
『わたしは、理由があることがわかるから歴史が好きなんだ。歴史を学べば、納得も理解もできないことにも、どんなに理不尽な理由だろうが、きっと理由があるって思えるから』
『でも、理由を知ったら逆に悩むことが多くなるよ』
『怒るより悩むほうがわたしには向いてる』
『ふーん、わたしは結局自分を忘れるために歴史を使ったけど、山田一番は自分に寄り添うために歴史を使ったんだね』
佐々木五番は何の気も無しに『きっと、わたしは山田一番のそういうところも好きなんだろうな』と独り言ちる。
『は』
『脱線しちゃったけど、元々そういう話でしょ』
わたしたち、二人っきりの恋人になるんだよ、佐々木五番はまるで半世紀前から決まりきったことであるかのように言い切った。
『わたしでもさ、一応リアルの姿や立場を知ってからひとを好きになることに罪悪感があったんだよ。オンラインで知り合うことがフツウだからっていうのもあるけど……だって、まるで人の容姿や社会的地位を価値つけて打算的に身勝手な感情をぶつけてるみたいで、いけないことだって思ったんだ。いや、そういう「いけないことしてる」って罪悪感でさらに君への好意が焚きつけられてる自覚があったから、罪悪感があったんだ」
『そういう冗談は……やめてよ、怒るよ』
最期の威厳で築き上げたわたしの頑なさを佐々木五番はあっさりと無視して続ける。
『でも、打算でも純愛でも、山田一番のこと好きだな。こういうのって、山田一番はいけないと思う?』
佐々木五番はひどいひとだ。わたしが自分に逆らえないのを知って残酷な甘え方をしてくるのだ。そうすれば、わたしが飛び上がって歓喜して佐々木五番に尽くすのを知っているから。
『わたしがなんて答えるか解ってていってるでしょう……』
私が不自然な動作で顔を背けると、佐々木五番は柔くくすぐるように笑った。らしくない。佐々木五番はらしくない動作も様になるのはとてもいけないと思う。
『はっきり言いなよ』
佐々木五番はガハハとやっとらしい笑い声をあげながらありがとうと上機嫌に口ずさむ。わたしは、まだ、なにも言っていない。
心臓が痛い。わたしは佐々木五番といるときは、二人になれる。溺れてしまいそうな恐ろしい幸福だった。
『ほら、誓ってよ』
佐々木五番がそっとパートナー申請ウィンドウを差し出す。
とうに一時間は過ぎていた。
自然と言葉が口から零れる。
『ねえ、会いたい』
『うん、じゃあ、今度はいつチャットする?明日にでも……』
ルームの設定をいじる佐々木五番をよそにわたしの言葉はとめどなく流れていく。
『佐々木五番の、目を見て、手を握っりながら話したいことがたくさんあるんだ』
佐々木五番は完全に沈黙した後、一等優しくて明るい声で『ああ、わたしも本当はそうしたかった』と歌い上げるように答えた。

東洋大学 金雪芽

2002年生まれ。母語は日本語。大学で東洋文化を学ぶ側ら、小説やグラフィックデザインなど幅広い形式で創作活動をしている。

東京地下ラボ事務局 tokyogesuido@prk.co.jp