東京地下ラボ

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04 Prototyping

50年後の箱船シェルターのこどもたちへ

後編

「光が……眩しい……」
ざあざあと換気口から送られる空気が草原を撫でるように滑空する。草原が横たわったり跳ね返ったりするたびにチカチカと幾多もの光の粒が直接眼球を刺した。
「太陽を失っても、大地を失っても、し尿資源を浪費しながら50年前の箱庭を創ってしまうのって、人間のエゴなのかな、それとも傲慢?」
佐々木五番がニッコリと笑いながら「風」にささやいた。私は佐々木五番が何故この実験プラントに入るときコンタクトをしまわせた上に、ガイドゴーグルまで断りをいれたのかを察してため息をつく。ここにはカメラしかないからって好き勝手に言っても良いと思っているのだ。1か月ほどの濃密な関わり合いのせいで、もはや解らない方が良い部分まで把握できるようになってしまった。けれど佐々木五番は私の様子を見ても「太陽」に目を細めているようにしか見えないらしくご機嫌なステップで草原をたたいた。
「きっと希望って言うんでしょう。ほら、こんなに美しくて暖かいんですよ」
わたしたちは新設の実験施設に来ていた。実験だけでなく、大人たちの郷愁を満たす役割も前提としているこの施設は、予約をすれば一般人でも入場可能らしかった。佐々木五番は全ポイントを投げ打って貸し切り状態にしたらしい。わたしは今でもたまに佐々木五番の本質は切実なのか、それとも単に酔狂なのか判別の付かないときがある。そう、まさしく今日のような日は特に。
「だってさ、これ全部『土』だぜ。貴重な有機資源をこんなにたくさん敷きつめてさぁ。それに照明だってこんなに明るくする必要ある?昼だってこんなに明るくないのに」
「地上では普通これくらいの明るさだったんでしょう」
「希望って懐古趣味?」
鋭い反論にわたしは苦し紛れの防御をする。
「うーん、未来への嘱託では……?」
「未来ってわたしたち?」
「大人たちにとってはそうでしょう」
「わたしたちにとっては?」
ざあとまた「風」が吹く。金属製のグロテスクな換気口はおどろくほどに静かだった。夢のように美しい草原と佐々木五番の方がよほど雄弁である。
「ねぇ、山田一番が教えてよ」
ぎゅっと手を握られる。気づいたらカメラの死角に来ていた。新設の実験施設である故か、他の施設のように人間の問題行動を監視するための仕組みは皆無に等しかった。
「今どき死角があるなんてありえないよなあ」
私は自分の手汗が滲むまできつく佐々木五番の手を右手で絞った。
「実験施設でこんなことするこどもなんかいないから?」
意趣返しでそっとささやくと、佐々木五番はくすぐったそうに笑った。
「でも、50年前の恋人たちは、こうやって手をつないで『植物園』とかを歩いたりしたんでしょ、ほら、50年前を取り戻すのが私たちの役目なんだからさ……」
佐々木五番がからかう笑うたびにわたしはままならなくなる。どこかで佐々木五番とわたしが泣いていることに気づかされるからだ。わたしは今になって、一目見て佐々木五番がわたしの代わりに泣いてくれていると思えたから、同じ傷を持ったこどもだと信じることができたから、たまらなくなることに気づく。二人はどこまでも同じ道を歩んでくれると信じ切っていた。けれど風に長い髪をたなびかせる佐々木五番は、くだらない思いつきでわたしの手の及ばない場所へと行ってしまいそうで、わたしは無責任なまま焦燥に駆られた。
「ねえ、なまえ、なまえ教えてよ」
気が付いたときには必要以上に大きな声で問うていた。まるで、みっともなく縋りついているようで、わたしは必死に佐々木五番がいつものように意地悪く笑いとばしてくれることを願った。
「覚えてて、私のなまえはノアだよ」
佐々木五番はわたしをまっすぐに見ていた。そこにはためらいがなかった。
「ノア…?」
「うん、ノアだよ、あのノア。悪趣味でしょ?」
「優しいなまえだと、思いました」
わたしは自分の高揚を隠すように誰も救われないだろう定型文を慌てて言い募った。
「優しいって、残酷よりももっと酷いってことだろ。悪趣味と同じだよ」
「私は、ノアが好きだから…」
大抵の場合は、本当のことを言いさえすればノアの溜飲はいとも容易く下がる。せわしない付き合いの末に得た万能のテクノロジーだった。しかし、この定理において最も重要で確かな部分は「大抵の場合は」であるということを忘れてはならない。 「ふーん、そう。ねぇ、私が好きな人のなまえは何なの?」
「耀」と緊張ですぼむ唇の先でなんとか発音する。
「あきら?結晶のほうの?」
「耀くのほうの耀」
「そっか、わたしたち二人ともやさしいなまえなんだね 」
ノアがとろけるように笑うので、きっとそれが正解なのだと思えた。今が幸福だと断じれた。
「耀が、答えてよ」
唐突にノアが要求する。今までの経験からしてこれは確実に悪い兆候であり、二人にとって絶対に必要な過程でもあった。
「私が、耀が言いたいこと全部言ってあげるから、耀は私が知りたいこと全部答えて」
「知りたいこと?…ノアが知らないことなんて、わたしだってきっと解りませんよ」
「そうかな、例えば五十年後のこととか、私よりずっと耀のほうが知ってるよ私は5秒後何が起こるかさえも本当はわからないんだ」
「もうさ、何でも知ってふりは、もう、疲れてできないんだ」ノアの声は少しずつ凍っていき、凍えるように震えていった。 「ねぇ、耀、お前が答えてくれよ。ねえ、大人たちはいつまで優しい嘘をついてくれるのかな?」
わたしは息を飲む。間違えないように、いや、それが間違いだと思われないように、わたしはゆったりとノアを詰った。
「ノア、ねえノア、ひどいことなんか何もないんだよ。ここには……何もない。ただ時間が過ぎ去っていってしまうというだけだから、今はただ地球環境改善のために勉強して、良質な排泄物を提供して……とにかくそういう当たり前の積み重ねをしていくしかないんだ。いくら将来が不安でも、そうやって……」
「そうやって信じてきたんでしょうって?冗談じゃない!」
ノアが声を荒げるのを、わたしは初めて聞いた。ああ、今からでも、嫌なことは全て雨に押し流されてしまえばいいのに。ノアの叫び声はまるでもうとっくの昔にひしゃげたロボットが無理やり動き続けているようだった。
「まァ……そうだね、酷いことなんか何にもないから、何にもないからこんなにも悲しいんだ!仕方なかったなんて、もっと他にやりようがなかっただなんて、思いたくないよ、悲しいじゃないか……どうしたってわたしたちには見捨てられる道しかなかったって認めなきゃならないのか」
ノア、待って、あなたは、わたしとずっと一緒にいるだけじゃ、やっぱりダメなのかな。どうしたって、一緒に何も知らないふるをしたまま朽ちてくれないのだろうか。ノア、どうしてあなただけがそんなに冷たい所で一人でいるの。どうしてわたしの居ない所にずっといるの。ノア、どうしてもここに来てはくれないの?
「なあ、スコアが低いとそんなことも解らないのか?……あはは、わたしたちは、あの首がないブクブク膨れた豚と同じなんだよ。反応層にうじゃうじゃ湧いてる微生物どもと同じだ。なんでみんな怒鳴りもしないんだ?私はずっと泣き叫びたくてたまらないのに 」
「ごめんなさい、ノア、違うんだよ……」
「何も知らなかったわたしたちにあんなに暖かいものを与えたくせに!裏切りやがったんだ大人は!私と一緒に死のうとも一緒に生きようともしてくれなかった。一人でこんなに冷たい地の中を歩けっていうのかよ、なあ、耀、寂しいよ、寂しいのに、誰もが憎いんだ。平気な顔で生きれるやつらが妬ましい。まるで全てが悪意みたいに見えてきて、嫌だよ……自分も、お前も、みんな嫌だよ!」
大人たちがこっそり弱って死んでいくのに、わたしたちはただ健やかに成長していくこと。わたしたち2054年生まれの152人のほかにこどもはいなかったこと。
きっとそれは、もう地中にだって「純粋な」人類が生きれる場所なんてないことなんじゃないかってみんな気づいている。
きっと、純粋な子どもはすぐに死んだんでしょう。大人たちもはじめはもっとたくさんいただろうにどんどん死んでいったんでしょう。
もう、種を保存する術がなくなって、いよいよ大人たちは頭を悩ませた。
機械を使うにしても、何十年も正常に稼働し、そのうえ種の保存と人類の存続といった複雑なタスクをこなしていくAIを余裕がない状態でできるのだろうか、できたとして何年後だろうか。
そうしてわたしたちは生まれて、そうして育てられた。
地球への奉仕のための人工物が、152機。
「こどもたちを結託させないためにコンタクト・フォンでコミュニケーションをとるように誘導して、コンタクト・フォンを通して会話と行動を監視するだけでも気味が悪いったらありゃしないのに、どんどん知恵をつけて手に負えなくなるわたしたちを監視するために『し尿バイト』なんてでっち上げて……泣き喚いてやりたいのはこっちなのに、どうして裏切った大人たちが怯えるんだよ!」
ノアは身を隠すように膝を抱える。やっぱりノアの方がしってるじゃないか、わたしは初めて全部嘘だって知ったよ。今まで疑おうとも思わなかったから、無神経でいることに夢中だったから。
「なあ、なんで企業競争がないのに、『人工物』には幹細胞を作れないようにプロテクトが仕組まれてるんだ?」
「そんな、まさか……」
やめてよ。それ以上、傷つこうとしないでよ。
「あいつら、ヒトモドキが繁栄するくらいなら、何もかも共倒れした方がマシだって思ってやがるんだ。わたしたちは、次世代なんか残せないよ。大人たちは思い出を裏切った。全部演技だったんだ。もし、わたしたちが『純粋な』人類を残せるくらい成功したときに、わたしたちが人類に『愛情』や『教育』を与えられように、プログラミングしてただけなんだよ……」
佐々木五番は、もう、何も視たくないとでも言うように膝に頭を俯けてじっと固まる。わたしたちは、どこにも帰れないところまで来てしまっていた。
「ねえ、命一杯に速く走りすぎたのかな、どうして誰も崖に堕ちるまで教えてくれなかったんだろう。自分自身ですら教えてくれない怖いものが世の中に溢れていて、触れるまでそれに気づけないだなんて、悲しいね。傷つくために生まれてきたみたいだから」
うずくまるノアにそっと投げかける。きっと何の慰めにだってならなくても、弱いわたしは沈黙に耐えられなかった。
「あああ!ああ、もう、みんな大嫌いだ!必死にまるでどこにも傷がないみたいにふるまっていて大嫌いだ!うるさいなぁ、過去のことも未来のことも考えたいわけないだろ!全てが私を軽んじているじゃないか。私が産まれなくちゃいけなかった理由も私がこれから生きていかなきゃいけない理由も全てが私を軽んじた上で成り立ってるっていうのに!ああ、もう何もかもが嫌なんだよ。今あることだけで手一杯なんだ。自分で考えて行動するなんて、嫌だよ、できないよ。だって正しいことなんて悪いことなんて何にもないじゃないか。ちゃんとやれって言うなら誰かちゃんと私を叱ってよ!どうすれば良いのか見捨てないで教えてよ!どうしてみんな傷がないふりをするの?なあ、どうして私だけ弱くて反社会的で悪質なものとして扱うんだ?私は正気なだけだ!」
キッとわたしを睨みつけたかと思えば、ロウソクの火がふっと消えるようにノアの表情からは激情が打ち消され、白紙に一気に悲しみの色がぶちまけられる。
「はっ、まあ、そうだよな、事実そうだもんな。お前、私がし尿バイトしてるんじゃないかって思ってあのとき止めたんだろ?そんなことさ、解ってるよとっくに、でも、お前だけだったんだよ。誰かがいつ話しかけても良いようにずっとコンタクトなんか着けずに歩いてた。お前だけだったよ。お前だけだったんだよ。普通に話しかけてきてくれたのは、きちんと約束を守ってくれたのは、私の癇癪交じりのとりとめのない話を最後まで聞いてくれたのは、お前だけだったんだよ」
「え、そんな、そんなことなんかで」
「ほんとにさあ……馬鹿みたいだよ。その人が何をしてくれたのかよりも、自分にとって大切なものを始めて与えてくれた人が誰なのかっていうことの方が重いみたいだ。結局、感情で動いてるんだぜ、都合の良い道具のくせに」
ノアの皮肉はいつも寂しそうだ。いつも誰かに、そんなことないよって言ってもらうのを待っているから。
本当はね、わたしずっと知っていたんです。あなたがずっと泣いてるのも、こんなにも泣きはらしているのに自分自身にさえ見向きもされてないのも、全部きっとわかっていたんです。このひとだったら、こんなひとならわたしみたいな真剣に生きれない人間とも一緒に生きて果ててくれるんじゃないかだなんて思っていたんですよ。
今更あなたのこと見くびっていたのを知っても、わたしは、私は、決してもう一人になれないことを、あなたはまだ知らないのだろうか。初めて私のどっちつかずの話を辛抱強く聞いて、きれいごとしか堂々と言えない弱さをやさしさだと言ってくれたのはあなたなのに、私の手をとって昼の草原に連れ出したのはあなたなのに。
「だから、私はお前のこと好きなのにさあ、お前はどうせ裏切るんだろ、私がさわる度にビクビクしてさあ、もういいよ、疲れたから 」
わたしは怒りのままに強くノアの腕を引いく。ノアはいとも簡単にわたしの方によろけた。
「誓え!」
殆ど無意識でそう叫んだ。デコルテの内側がギリギリと痛む。ノアはただ茫然としていた。
「私と生きて私と死ぬことを誓って!苦しくても惨めでも私の隣であしたを待つことを誓って!」
「いやだよ……何言ってんだお前……」
「私は誓うよ。いくら解り会えなくても分かち合えなくても朝はあなたと迎えたい。苦しみが続く限りあなたの側を離れない」 「やめてくれ、もうやめてくれよ、そういうの……期待されたって私は何もできないんだ。それくらい察してくれよ私はお前が思うようには絶対になれないんだ。きっと私は何度もお前を裏切って哀しい目に遭わせるよ。もう、本当に、いいんだよ……」 「都合の良いひとが欲しくて言ってるんじゃないんです。ただ、その、あなたのことが、ノアのことが好きだから…」
格好の付かない私の告白を、ノアはとうとういつものようにクスリと笑って、骨と骨をぶつけるように抱き着いた。私もそっと手を、ノアの背に這わせる。
二人で抱き締め会ったところで、手を握り締めたところで、きっとなにもいい方向に転びやしないことなんかお互い解りきっていた。
大人は死んでいく、わたしたちは大人の理想に殺されていく、遺伝子の期限が迫っていく、地球がより取り返しのつかないことになっていく、全てが台無しになっていく。
けれど、こうして二人でいれる間だけはずっと眩しい気持ちでいられることだって解りきっているのだ。二人で手を繋ぐときだけは、世界は永遠になる。五十年後のことも五十年前のことも全てが無に帰すフィールドでポツンと並んで座って、たまに目を合わせてはにかんで笑いあうことが煌めく夢のように素晴らしかった。私はノアを手放せなかったし、ノアは私を手放せなかった。
ノアがおもむろに離れて歩き出す。わたしは無言で背をゆっくりと追った。風の音が響く。
何も知らないまま運命に潰されて 箱船シェルター に乗り込む五十年前の子どもたちよ、わたしたちはあなたたちの未来への誠意を信じてフラスコ製のいのちを使おう。それが、暖かい思い出への弔いだと信じて。
何も持たされずに大きな使命に踏み潰される五十年後の子どもたちよ、わたしたちはあなたたちに愛を与えることはできやしないけれど、いつかあなたたちが一瞬の永遠をてに入れられるように十数年の嘘を守ろう、きっとそれがわたしたちにできる最大の努力と祝福を信じて。
前を行く人は、風に拐われそうな小さな声で私の名を呼び振り替える。
それが、あまりにも目映くて暖かくて痛くて懐かしくて、私はなんとなく明日も生きようと思うのだ。
わたしたちは幸福なこどもたちだった。
輝く草原の上で二人はキスをする。
夢は実現しないし、未来には到底かなわない。
わたしたちはただシンプルに半世紀の苦しみを誓ったのだ。
苦しい今日を愛おしいひとの存在でごまかしながら何千回も重ねていくと誓ったのだ。
本当の希望は生臭くて、べとついている。
二人は、少し拍子抜けして、漏れ出すように笑い合った。

東洋大学 金雪芽

2002年生まれ。母語は日本語。大学で東洋文化を学ぶ側ら、小説やグラフィックデザインなど幅広い形式で創作活動をしている。

東京地下ラボ事務局 tokyogesuido@prk.co.jp